5周年記念事業・・・・下ツ道跡碑建立 橿原市に寄贈・除幕式
当クラブの発足5年という節目を迎えた記念として、未来への伝承と
地域社会のお役に立てたらという願いをこめて、現在、橿原市が
世界遺産登録に向けて準備を進めておられる藤原宮跡の周辺に
「下ツ道」跡を表す碑(いしぶみ)を橿原市のご指導により
建立させていただきました。
「下ツ道」は歴史と文化が集約された、
当クラブの活動するこの橿原の地に今も続いています。
建立した場所は平城京に通じる古代国道の
「下ツ道」のスタート地点にあたる場所です。
(現:橿原市小房町 かしはら万葉ホール敷地 入口付近)
平成20年7月17日
於:かしはら万葉ホール
碑の刻字文
表面
白御影の台座に高さ約90cmの庵治石で造られ「下ツ道跡」と森下豊橿原市長が揮毫<施工:打谷石材(株)>
裏面
飛鳥に宮がおかれ、京と外界を結ぶ大路とし築かれた下ツ道は奈良盆地を縦貫し、藤原京と平城京を成立させた。二つの京を誕生させたこの道は現在そして未来へ連綿と人々が行き来する道である。(日本書記)
下ツ道とは・・・
7世紀中頃に、奈良盆地を南北に走る
大道・下ツ道として整備された。見瀬丸山古墳の前面を起点とし、藤原京の西四坊大路(現在の橿原市八木あたり)から、奈良盆地の中央をまっすぐ北へ進み、平城京の朱雀大路(現在の平城宮跡)に至る。橿原市から大和郡山市にかけては、現在の国道24号線の約250m西方に並行する。北は、那羅山(ならやま)の平坂(ならさか)を越えて山背道(やましろのみち)になり、南は、軽(かる、橿原市大軽町)の丸山古墳(旧見瀬丸山古墳)までが直線道で、檜隈(ひのくま)からは西南に向かう巨勢道となり、宇智(うち)を経て紀伊国境の真土山(まつちやま)を越えると紀ノ川沿いの木道(きのみち)に達する。奈良時代には飛鳥・藤原京と平城京をまっすぐ繋ぐ大道として盛んに利用されたと思われる。
大和の古道(やまとのこどう)
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